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正常な逆転移とその逸脱

R,モネー=カイルの1956年の論文「正常な逆転移とその逸脱」についての要約と解説です。モネー=カイルは正常な逆転移は好奇心、修復欲動、親的欲動から成るとし、精神分析のある局面ではこれが保てず、逸脱してしまうことを論じた。

モネー=カイルの写真

図1 モネー=カイルの写真

A.正常な逆転移とその逸脱(1956)の要約

1.はじめに

当初逆転移は精神分析家の個人的障害と考えられていた。その後、逆転移を精神分析に利用することの有用性が指摘された(ハイマン,1950など)

ハイマンの逆転移については以下のページをご参照ください。

問題-逆転移の有益な面と、障害となる面とは何か。(1)正常な逆転移とは何か。(2)どのように、どのような状況で正常な逆転移は障害されるのか。(3)障害された逆転移は、精神分析の中で、どのように修正されうるのか。

2.正常な逆転移とは何か

精神分析家の患者に対する態度-フロイトのいう「好意的な中立性」、心的決定論の理解にもとづくある種の寛大さ-より人間的な態度が含まれている。精神分析家の態度は2つの欲動による-(1)修復欲動(「私たち誰でもの中に潜む潜在的な破壊性を中和するもの」)。(2)親的欲動-いずれも強すぎれば強い不安、攻撃性への補償としての過剰な罪業感。ある程度の強度までならば正常。

2つの欲動によって、患者が、精神分析家自身の傷ついた/修復されるべき対象となる。患者と精神分析家の関係は親子の関係と相似する(ハイマンも議論)-精神分析家が最も配慮するのは、患者の中の無意識な子ども。同時に(患者の中の)子どもも、精神分析家を親とみなす⇒精神分析家の無意識も、患者を精神分析家自身の子どもとみなして対応する。

親(ここでは精神分析家)にとっての子どもは、親(精神分析家)自身の幼少期の一部を表す⇒精神分析家は、精神分析家自身の幼少期の自己を、患者の中に認識⇒精神分析家が患者を精神分析することを可能に。つまり、精神分析家(親)の患者(子ども)への共感と洞察は、理論的な知識によるのではなく、部分的同一化(とり入れ+投影)による。この部分的同一化は、精神分析家・患者、双方に発生。

精神分析がうまくいっている時-とり入れと投影が速やかに、かつ交互になされる。(患者が話している間、精神分析家は患者をとり入れ、同一化し、内面で患者を理解する。そして再び精神分析家から患者へ投影し、患者を解釈する)

  • 精神分析家の視点-患者は「未熟で病的な過去の精神分析家自身の一部」を表す。精神分析家はこの過程を理解⇒解釈によって扱うことができる。
  • 患者の視点-効果的な解釈を精神分析家から受け取る⇒精神分析家の解釈が、患者の連想を促進⇒精神分析家が患者のさらなる連想を理解。

「とり入れと投影が速やかに、かつ交互になされる」=患者と精神分析家の「”正常”な関係」-精神分析家の逆転移感情は逸脱せず、患者との共感の内におさまる。

3.どのように正常な逆転移は障害されるのか

“正常”な関係の中断が発生しやすい状況-(1)患者が、精神分析家自身がまだ理解していない精神分析家自身のある側面と密接に関係する場合、(2)患者が非協力的、コンタクトが困難、など。

“正常”な関係の中断の体験-「内容が曖昧になったと感じ、話の脈絡をなにか見失っているように感じる」-なにかが失われたような緊張感。患者を助けられないことへの無力感-成功による安心感にこだわる精神分析家には、特に強く感じられる。

正常な逆転移からの逸脱(悪循環の発生)-“正常”な関係の中断⇒精神分析家側の緊張感の発生⇒患者の理解ができず、効果的な解釈が失われる(=精神分析家側の修復欲動・親的欲動が充足されない)⇒さらなる精神分析家の理解不足と無意識の不安の増大-「『患者への理解』『効果的な解釈』が失われること」&「精神分析家の無意識の不安の増大」の悪循環=”正常”な逆転移からの逸脱。

精神分析家が混乱⇒患者も無意識のうちに悪循環に加担⇒さらなる患者の混乱。

逸脱した状況で精神分析家が考慮すべき3点。(1)精神分析家の情緒的混乱((2)(3)に取り組むために、精神分析家自身が自己を解放し、内的に対処する必要がある)。(2)精神分析家の混乱が生じるときの患者側の部分。(3)患者側の部分が患者自身へ与える影響。

以上3点の瞬時の区別-逆転移はこまやかに受信装置として機能。

4.精神分析家の超自我の役割

患者への理解が失われた時の、精神分析家の情緒的混乱は、精神分析家自身の超自我の厳しさによっても発生。

  • 精神分析家の超自我が親和的で協力的な場合-精神分析家自身の限界も大した苦痛なく耐えられ、患者との関係も迅速に回復可能。
  • 精神分析家の超自我が厳しい場合-精神分析家の失敗の感覚⇒迫害的、抑うつ的な罪業感(とり入れ)/精神分析家自身の防衛のために、患者を責める(投影)。

とり入れと投影の相互作用の破綻-精神分析家は、罪業感のとり入れ/投影の、いずれか一方にはまりこむ⇒精神分析家が罪業感をとり入れた場合(患者と一緒に動けなくなる)、患者に投影した場合(患者が理解できないと感じられる)⇒どちらでも、とり入れ/投影が相互作用しなくなる=精神分析の停滞。

5.障害された逆転移の修正

精神分析家が罪業感をとり入れた場合の体験-精神分析家が必要以上に思い悩む、過去の失敗を再体験しているかのよう、身体的にも患者の苦悩を背負わされたような体験。

とり入れの際の対応策-精神分析家自身の過去の悩み/患者の投影したものの識別⇒患者も正しい方向に導くことが可能。

罪業感のとり入れは、患者との分離(セッションの終わり、週の終わり)の際などに発生-精神分析家の自己懲罰?-未解決の問題を残したまま自分から離れようとする精神分析家に対しての患者からの罰、患者の分離への抵抗が投影されたもの、という解釈も可能。

精神分析家の罪業感のとり入れは、患者の精神分析家に対しての罪業感の投影(M・クライン)との、2種の機制の共生関係による体験。

罪業感のとり入れの際、精神分析家の理解が遅れる要因-「精神分析家が自分の中で速やかに理解できていない何かを患者が表すようになってきている(p.33)」可能性。

精神分析家が患者への投影(自分の中での修復できない、迫害的な人物を患者に重ねる)の自己理解に至らない⇒患者を「修復できない」「迫害的である」とする感覚に耐えられなくなる⇒精神分析家が更に防衛的に。

同時に、精神分析家も自己の一部を患者に投影する可能性(「自己が部分的に失われる(p.34)」)-「ぼんやりした感じ」「知的能力が失われた」感覚-患者が去勢体験を仕向けた(患者がすぐに解釈できなかったことへの患者の欲求不満)

カイルの事例(概略)-パラノイド、スキゾイド優勢の男性患者。患者の「自分が役立たずのように感じられ、ぼんやりしてしまっている」「”レーダー装置を置いてきて、週末にならないと取り戻せない”という夢」⇒セッションの進行とともに、患者がカイルに対して怒りと攻撃を向けた⇒カイルの体験(「私の方こそ役立たずで、ぼんやりしていた(p.35)」)⇒カイルの洞察(患者の最初の訴え、カイルの逆転移、患者の父親との関係の間に共通性がある)⇒次のセッションでその共通性を解釈⇒患者の洞察、治療の促進。

理解の障害の原因(1)-カイルの逆転移と、患者の体験・無意識の表現との間の共通性の洞察が遅れた⇒患者のカイルへの欲求不満⇒自身の無力感をカイルへ投影し、攻撃。

理解の障害の原因(2)-患者は自分が失ったと思っていたもの(「レーダー」=父親の「明晰だが攻撃的で知的な部分」=よい自己)を筆者から奪い取ったかのように振舞い、無力な自己を攻撃(去勢体験の投影)。

カイルの洞察に必要だった自己分析-(1)「脈絡を失ったときの私自身の無力感」、(2)「患者の無力な自己への患者自身の軽蔑(患者が精神分析家に投影していた患者の一部)」、(1)(2)の識別。

ビオンによれば、この識別能力こそ、精神分析の逆転移を用いる能力の重要部分。

6.陽性の逆転移と陰性の逆転移

過剰な陽性/陰性の逆転移-修復/親的欲動が充足されない精神分析家の欲求不満の表現(無意識の愛情/敵意)

患者が精神分析家の感情を刺激し、促進する-過剰な逆転移自体が、精神分析家が患者への共感を失っていることの表れ-精神分析家が患者の表面的な気分に反応しやすい

精神分析家が逆転移を抑制したつもりでも、無意識に患者に伝達-解釈の必要性。

強い陽性逆転移-(精神分析家が患者に情緒的な気遣いを感じているにもかかわらず)患者が「情緒的に気遣っていない」と不満を表現する可能性-解釈される必要(精神分析家が患者に誘惑されており、そのことを否認しようとしている、という患者の思い込み)-患者の、幼いころの母親への愛撫が誘惑と受け止められ、母親に拒絶された可能性-誘惑することの罪業感

強い陽性逆転移は分裂機制を促進する-精神分析家が患者に対して無意識の愛情を提供⇒患者の内的な「良い親(精神分析家)」と「悪い親(実際の親)」との分裂を促進⇒患者の親に対する抑うつ感情のワークスルーの障害となる。

陰性の逆転移-精神分析家の患者への理解の喪失と、患者が希望を失っていて迫害的になっている時に発生しやすい。

陰性逆転移の際に必要な精神分析家の課題-(1)精神分析家自身の防衛への気づき、(2)状況を発生させた患者側の役割への気づき、(3)発生した状況の患者自身への影響。

陰性逆転移のカイルの実例(前述の患者)-陰性の逆転移の表れ(患者からの悪い、迫害的な対象の投影+週末、休暇前(患者との分離前)の精神分析家が感じる安心感)-精神分析家は敵意を抑制したくなる(防衛)が、精神分析家の洞察がないと、陰性感情が患者に悪影響。

  • カイルの洞察(1)-いつも以上の激しさでの拒絶は、良い印象のセッションの次の回で起こる-カイルが洞察し、解釈(「拒絶されたと感じたのは彼の方である」)⇒治療の進展。
  • カイルの洞察(2)「カイル自身が、患者の援助に失敗した後で、患者を嫌う」ことへの洞察-「患者がカイルを絶望させないようにしているのでは」「患者がそう振舞う理由は何か」-患者の空想では、「治療の進展」=「(無意識の)同性愛感情の断念」であり、それを否認しようとしていた。一方で、意識的には、カイルを攻撃(「自分を治してくれない」=「衝動を取り除いてくれない」)

7.感想

複数の関係が多重的、同時存在的に進行している。セラピストとクライアント、親と子、意識と無意識、それぞれの重複と交代。

逆転移の利用に際し、自己の感覚へ気づくための繊細さと率直さの重要性。

理論・知識によるのではなく、体験的な洞察の重要性。「彼の道具は無意識についての理論的な知識と、彼個人の精神分析によって得た無意識からの突出物へのパーソナルななじみある知識…(結論、p39)」

8.議論したいこと

「精神分析家が患者に投影する際に彼自身の側面も同時に投影することで…(p34)」⇒?

陽性の逆転移は、どのように発見されるか。

B.正常な逆転移とその逸脱(1956)の解説

1.モネー=カイルの生涯

1898年1月31日にハートフォードシャー州ブロックスボーンで出生した。父親であり英国陸軍将校であるオードリー・ウォルター・ウォッシュボーン・モネー・カイルと、母親であるフローレンス・セシリア・スミス・ボサンケとの間の4番目の子どもであった。上の兄は4歳の時に病死している。10歳でイートン校に行くことになったが、その前後に病気に罹患し、最初は学業に遅れていたという。

彼は独創的で、物作りが得意で、かつ思慮が深い少年であった。当時はアインシュタインを尊敬していた。そして、イートン校の時、彼が10歳の時に父親が急死している。1916年に18歳になるとすぐに空軍に入隊し、オックスフォードに行くこととなった。そして、その時に後に結婚するヘレン・ジュリエット・レイチェル・フォックスとスケート場で出会った。彼女は後に人類学者となっている。1917年に彼の乗る飛行機が撃墜され、彼は助かったが、戦線に復帰することはなく、そのまま第一次世界大戦は終結する。

終戦後はケンブリッジ大学のトリニティカレッジに入学し、数学と物理学の学位を取得した。しかし、彼はそれらの才能はないと自覚し、哲学や精神分析に興味を持ち始めた。また、その頃には彼は神経症で悩んでいたという。1919年にロンドンに行き、アーネスト・ジョンズの精神分析を受けた。さらに、1922年にはジョーンズの紹介でウィーンに移住し、フロイトの精神分析を受けた。ヘレンも同伴し、結婚した。

ウィーン滞在中に長男が生まれている。また、この時期に哲学教授のモーリッツ・シュリックに師事し、博士論文「現実の理論への貢献」を執筆した。1925年にイギリスにもどり、ロンドン大学ユニバーシティカレッジに入学し、ジョン・カール・フルーゲルに師事した。1928年にそこで2つ目の博士論文である「犠牲の意味」を執筆した。

同年に英国精神分析学会の準会員になったが、ジョーンズは彼に「精神分析臨床をしないこと」を条件に入会を認めたという。1936年にリックマンの勧めでメラニー・クラインの訓練分析を受けることと1945年に英国精神分析学会の正会員となった。この訓練分析の時期には彼はイギリス航空省で勤務し、同時に政治、倫理、社会、道徳、哲学などを精神分析理論と結びつけるような多数の論文を執筆した。こうした応用精神分析における研究が彼の独自性となっていった。

第二次世界大戦終結後、1946年にはドイツ人事研究所で働いたが、そこでの彼の役割は、ドイツ帝国崩壊後のドイツを統治する人材の発見と育成が仕事であった。ここでの経験から「ドイツの国家と性格のいくつかの側面(1951)」を執筆し、パーソナリティを権威主義タイプとヒューマニストタイプの2つに分け、それをクライン理論から説明した。

その時期の1949年には訓練分析家となった。1952年にはクラインの70歳の誕生祝で国際精神分析雑誌の特別号「精神分析の新しい方向」を彼は編集した。その後、メラニー・クライン著作集の編者・解説者としての仕事に従事した。そして、1980年7月29日にロンドンで死去した。

2.モネー=カイルの逆転移論のまとめ

フロイトやクラインなど、これまで逆転移は精神分析家の病理とされてきた。しかし、その後、逆転移は精神分析に活用するものとパラダイムシフトされるようになった。その中でハイマンは逆転移による患者理解への活用を論じ、リトルは逆転移の患者への影響を論じ、ウィニコットは逆転移の中にある精神分析家の憎しみを論じた。モネー=カイルの逆転移論はそうしたことを踏まえてさらに発展させている。

まず、彼は1.正常な逆転移とは何か、2.それが障害される状況とは何か、3.最後に障害された逆転移状況をどう修正するのか、の3点をこの論文で論じている。

正常な逆転移とは精神分析家の好奇心、修復欲動、親的欲動であり、それが過剰ではない状態であり、取り入れと投影が「極めて速やかに交互になされている」時に逆転移が正常に作動している、と言う。そして、このような時には解釈、共感、洞察が展開できる。そして、2.の正常な逆転移が障害されていると、過度な緊張が蔓延り、混乱が生じる。不安が理解を打ち消し、さらにそれが混乱と緊張を生み出すという悪循環が生じる。

これらを3つの要素に分けると、1つ目は精神分析家の情緒的混乱、2つ目はそれが生じる時の患者側の部分、3つ目が患者に対する影響である。また、こうした膠着状態に影響を与えていることとして、精神分析家の超自我の強さである。超自我が強いと苦痛に耐えられず、罪悪感を患者に向け、患者を攻撃してしまうだろう。

逆転移が強くなると、それは陽性のものでも、陰性のものでも精神分析治療の阻害要因となってしまう。それは精神分析家の有効な解釈が与えられないという欲求不満に対する防衛として機能する。例えば陽性逆転移が強くなると、解釈の代わりに愛情を与えようとなってしまう。

こうした逆転移による膠着状態の時、どのように修正していくのか。モネー=カイルは精神分析家に課された仕事として3つ挙げている。

  1. 防衛メカニズムに気付くこと
  2. そのことを生じさせて患者側の役割に気付くこと
  3. 患者へのその影響に気付く

3.モネー=カイルの逆転移論の意義とそれに対する批判

この論文では、ハイマンとリトルとウィニコットの逆転移論を統合させているように見えることが特徴的である。ハイマンのように逆転移を通して患者を理解し、リトルのように逆転移の患者への影響を理解し、ウィニコットのように精神分析家の中にある逆転移を理解する、ということである。さらにそれら3人にはあまりなかった投影同一化という概念を導入し、メカニズムをすっきりさせている。こうした点から、これまでの逆転移論を先に進めたと言って良いだろう。

しかし、一方で「正常な」というやや価値判断を含んだネーミングにはひっかかるところである。つまり、クライン派には共通しているが、精神分析家は基本的には良い対象であるという前提があることだろ。親は良いものである、という前提とパラレルである。「正常」としてしまうことで、そこに意味や文脈を見出せなくなってしまうことも危惧の1つである。

精神分析家はある状態を目指すべきであるという教条主義にも最終的には通じるものだろう。こうしたことは自我心理学が自我の葛藤外領域や自律的自我といったことと近いように思う。つまり、精神分析的には扱いづらくなるということである。

そうしたことは批判としてはあるかもしれないが、総じてモネー=カイルにより、逆転移論が深みと広がりをもたらした功績は非常に大きい私は考える。

C.おわりに

こうした精神分析についてさらに学びたいという人は以下をご覧ください。